2013年4月9日火曜日

「勝利の凱旋」


ヨシュア記22:1−9

ヨシュア記22章です。21章にはすでにまとめがされたことを見ました。カナンの地はおおよそがイスラエルの手に治められ、土地は12部族に分割されました。そして、最後にもっとも大切なこととして、イスラエルのどの部族も礼拝担当の「祭司」とその補助としての「レビ」が遣わされ、ヤハウェなる生ける神に従って いくようにと道備えがされました。

ところで、ヨルダン河を渡って来たときに、川の東側にすでに土地をえた3つのグループがいましたね。ルベン、ガド、マナセの半部族です。川の東は難なく手にいれることができたので、この3部族は願いでて受け取りました。40年の荒野を放ろうした後に得た地ですから、自分達は早く定住して落ち着きたかったでしょう。しかし、ヨシュアは、同胞が川向こうにでかけていって戦おうとしているのに、自分達は川のこちら側でのんびりと見ていてもいいものか、というチャレンジをしました。

ヨシュア記1章で、ヨルダン側を渡る前に、この三つの部族に、「しかしあなたがたのうちの勇士は、みな編隊をくんで、同族より先に渡って、彼らを助けなくてはならない。」と命じています。この命令をうけて、三部族は女と子供は川のこちらにおいて、勇士は他の同族より先に、つまり、戦闘の前線部隊としてカナンの地の攻略に参加したのです。かれらのおかげで、イスラエルは、さまざまな戦いを勝利することができたといっても過言ではありません。 神の民としての一体感は、この三部族が「自分達はのんびりしたい!」という願い(Comfortable Zone) を捨てて、同士達の戦いに加わり、先頭にたって戦ったことで、さらに強くなったのです。

もし、ヨルダン側を渡る前の、東側の自分達が得た場所にのんびりと定住していたらどうだったでしょう?
1.神様の大いなる御業を体験できなかった。
                  エリコの城壁の崩落、
アイの町の攻落、
連合軍への勝利、
盟約を結んだギブオンの援助戦での、月も日も動かない奇蹟、
巨大な雹がふってきて、敵が惨敗
2.神の契約の民としての一体感がくずれる。
これからカナンだけでなく、全世界に神の民としての証しの人生をおくるべきイスラエル。どこかに葛藤があったら、たちゆきません。外からの攻撃よりも、仲間割れが一番もろい敗因となります。サタンはどこを攻撃したらいいか知っています。いつも、仲間割れをおこすように、批判しあって、除外して、分裂していったら、神様の御業をおこなうことができないからです。
3.自分の安逸をもとめて、神のみこころに従わない 
なによりも、<神様の御言葉に従わない>という、アダムとエバの過ちを繰り返すことになります。アダムとエバの罪はたべた果物にあるのではなく、神様が食べるな、と命じたことを守らなかった事です。これが罪の本質です。神様の御声を聞かない、退ける、反逆する。これでは、神の民の証しはできません。
4.神様の祝福をのがす。
神様はすばらしい戦利品を用意していて下さいます。みこころにかなった者への褒美は、聖書の中に沢山しるされています。創世記のアブラムへの祝福は三段階に及ぶ祝福でしたね。「そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福するものを私は祝福し、あなたを呪う者をわたしは呪う。地上のすべての民族はあなたによって祝福される。」(121-3節)、イエスキリストも、「あなたがたがキリストの弟子だというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いをうしなうことはありません。これはたしかなことです。」マルコ9章41節。また黙示録には 7つの教会全部に、「勝利をえるものに、とか最後まで堪え忍ぶものに、」といってすばらしい褒美が約束されています。神様の下さるものは、自分のちからで勝ち取ったこの地上の物に、はるかにまさる褒美なのです! 
このヨシュアの時も、「あなたがたは多くの財宝と、おびただしい数の財宝とおびただしい数の家畜と、銀、金、青銅鉄、及び多くの衣服をもって天幕に帰りなさい。」との約束があります。もし、川の東にとどまっていたら、こんな戦利品は手にいれることはなかったでしょう。

すばらしい事は、このルベン、ガド、マナセの半部族は、神様からの命令があったとき、それに従って、先頭をきって、同胞と一緒に川をわたり、イスラエル軍の前線部隊として戦い、つぎから次への勝利を体験していったのです。そして、苦しい時も、大変な時も、勝利の喜びも分け合って、神の民としてともに、カナンの地を占領せよ、という神様の命令に沿いました。

今戦いを終えて、この三部族にヨシュアが帰還許可をだします。先ほどいったような約束の褒美も与えられました。褒美のリストの後に、またもこんな但し書きがあります。「敵からのぶんどりものは、あなた方の同胞と分け合いなさい。」 祝福は分け与えること。神様の民の原則です。
川を渡ったのは三部族の中の勇士だけでした。勇士にえらばれなかった男子もいて、彼らは恵みはうけとれなかったわけです。しかし、神様は、この人達とも、戦利品を分けなさい!と。彼らは戦ってない! と言った者もいたでしょう。しかし、神様の命令は、祝福はわけなさい!でした。

それに同意して、3部族は、カナンの地にあるシロでイスラエル人とわかれ、モーセを通してしめされた主の命令によって、彼らが得た自分の所有地へ帰って行った。とあります。シロは天幕がおかれていた場所。神様の礼拝をもって、同胞の戦いを助けるとう努めをしっかり終えたことを、主の前に報告して、川の東にかえっていったのでしょう。

神様は、この三部族に命じたように、同胞の戦いを助けるように命じられます。私たちは自分の コンフォタブル・ゾーンから出たくありません。心地よい場所、心地よい生活パターン、心地よい仲間たち、心地よいものから出たくないのですが、神様は、「同胞をたすけに、心地よい自分の場所にいないで、一緒に戦いなさい!」と命じられています。私たちも、示されたときに、一歩心地よい領域から足をふみだして、1.神様の戦いに加わっていきましょう。主のために戦っている仲間を、自分に出来ることをもって、加わってください。ミニストリーチームに加わってください。趙先生の宣教活動に加わって下さい! 2.戦利品をわけあっていきましょう!そして、神様のくださった所に、勝利の凱旋をできるようになりたいとおもいます!

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