2013年4月9日火曜日

「内乱の危機」


ヨシュア記 22:10-34

前回、22章の前半で、川の東側にすでに分割地を受け取ったルベン、ガド、マナセ族が、自分達の土地を得たから、といって、戦いに参戦しないのはいけない、というヨシュアの指示がありました。それで、3部族の中から勇士が選ばれて、カナンの地の強靭な敵と戦うために、川を渡って他の部族と共に出陣したのです。 勇士達は戦いの最前線で、自分の直接の部族ではない同胞の部族のために、勇敢に戦い見事に勝利に勝利を重ねて、ついにカナンの地は、イスラエルの手に治められました。そして、西岸の地は、9部族(正確には8部族半)に分割されたのです。長い戦いを終えて、ようやく、この3部族は川の東の、自分達に割り当てられた地に帰っていきました。 同胞のために参戦し、最前線で戦った三部族の勇士達に、西側の者達は感謝の意を表して、おおきな祝福を手渡して送りだしました。 「多くの財宝と、おびただしい数の家畜と、銀、金、青銅、鉄、多くの衣服をもって天幕に帰りました。」 かれらを送り出すときのヨシュアの言葉は、「これらの敵からのぶんどり物は、帰ったら同胞と分け合いなさい。」でした。(8節)神様の民の原則がここに見られます。 戦いも分け合い、戦利品も分け合う、という原則です。 神の契約の民の一族として、12部族が、苦しみも、喜びも分け合って行く、という原則の中に、今や、土地で分割されて距離的には遠くなるイスラエルの各部族であっても、神の民としての一体感を保つという、という強い意図がうかがえます。

こうして多くの祝福を受けて、ルベン、ガド、マナセの半部族の3つの部族は、イスラエルの他の部族と分かれて、川東(トランスヨルダン)にもどって行ったのでした。

<東岸での祭壇の建設> 
今日の箇所は、この直後の出来事です。
11「イスラエル人はこういう噂をきいた。ルベン、ガド、およびマナセのはんぶぞくが、カナンの地の国境、ヨルダン側のほとりの地、イスラエル人に属するがわで、一つの祭壇をきずいた。」
3部族はヨルダンのほとりの地に来たときに、最初にしたことは、なんと川岸に、おおきな一つの祭壇を築いた事でした。とても大きな祭壇で、西岸にすむものにも、見えたのです。西岸に居た9部族は、この噂を耳にして憤慨しました。 「ルベン、ガド、マナセは東岸にも祭壇をきずいた!」 そんな重大な噂ですから、ヨシュア達が怒るのも当然です! 西岸の9部族は、こんなふうにいとも簡単に別の神をおがもうとする東岸の3部族にとても腹をたてて、全部族をシロの天幕に集合させて、東岸の三部族と戦うために上っていこう!という事になりました。さっきまで、共に戦い、戦利品をわけあった仲間なのに。


かつてアイの町の攻略のおりに、アカン一人の反逆が、イスラエル全体に致命的な敗北をもたらした、痛い経験があります。ですから、ましてや3つの部族が、偶像礼拝の過ちをおかしたら、とんでもない罰が下る、と思ったのかもしれません。西側の信仰の中心地、シロにて、イスラエルの全会衆が集まったとき、対策委員が選ばれました。そのリーダーは祭司ピネハスという人物でした。 

<ピネハスの姿勢>
ピネハスは、当時のイスラエルが最も尊敬した祭司長です。かって出エジプトしたイスラエルが、シティムの町でモアブ人の女の誘惑からバアル礼拝に落ちたとき、ピネハスはその過ちを見事に裁きました。それで、神様に認められ、祭司の家系としての任命をうけたのがこの人物です。アロンの孫にあたります。この重要な人物(すでにかなりの年齢を重ねていたとおもわれますが) が、この大きな問題の対策のリーダーとして立てられました。そして、各部族から族長がひとりずつ10人とが選ばれて、戦いに出る前に、まず、事の真相を確かめに、東側に代表が送られたのです。

1.    ピネハスが対策委員長としてした事は、まず、質問でした。
16節、この不信の罪は何か」 はじめから、大砲を打ち付けるのではなく、まず、相手の事情を聞いています。そして、何が問題と感じるかを、相手に伝えます。「あなたがたは今日、主に従う事をやめて、イスラエルの神に不信の罪をおかし、自分のために祭壇を築いて、今日、主に反逆している。」 主に反逆するならば、主の怒りは三部族だけでなく、イスラエルの全体に向かって降り注がれるだろう! どれだけ大きな過ちをしているか、分かっているのか! といういかりでしょう。

2.    また、ピネハスがすばらしい祭司であるのは、この罪の宣告だけでなく、イスラエルにとって大事な「神の下での一致のために」、次のような提案もしている事です。

19節、「もしあなたがたの所有地がきよくないのなら、主の幕屋のたつ主の所有地にわたって来て、わたしたちの間に所有地を得なさい。」 これは、もしも、東側には、聖なる場所が足りないというのなら、西側の土地を分けよう、という事です。それは、自分に分割された土地を、さらに狭くするということを意味しますが、同胞の偶像礼拝の罪を見過ごしにするよりは、また、イスラエルの全部族が、しっかりと神様への礼拝を一致して、ささげるためには、自分が犠牲となってもかまわない、という、徹底的に神の民としてのリーダーシップを毅然(きぜん)ともったすばらしい姿勢でした。

3部族の応答>
このような強い提言をきいて、こんどは東側の3部族の弁明があります。
22節、「神の神、 主。神の神、主は、これをご存じです。イスラエルもこれを知るように。もしこれが主への反逆や、不信の罪をもってなされたのなら、今日、あなたは私たちを救わないで下さい(処罰してもいいです!)」 

そして、なぜ、川の東に祭壇をつくったのかを、説明します。それは、偶像にささげ物をささげるための祭壇ではない、と。 それは、川に隔てられた西岸の部族の子孫達が、「ルベン、ガド、マナセに、あなたたちはカナン内部にいる主の民ではない、といわれて、イスラエルの主の幕屋の祭壇の礼拝から遠ざけられてしまってはならない! 自分たちも同じ主を礼拝し、主にささげものを献げる民だ、と、わすれられないために、祭壇をたてたのです、という説明でした。

外からみただけでは、偶像礼拝のための祭壇とおもわれたのが、じつは、イスラエルの神への帰属と献身のあらわれのために、それが忘れられないために、祭壇を川の東にもつくったものだったのです。イスラエルの部族の頭たちは、この事実が分かって、納得(なっとく)しました。 実情がわかったピネハスと族長たちは、イスラエルの全会衆の居る地にもどって、あってみて分かった真実を報告したのです。 イスラエルの民は、その報告に満足して、神を誉めたたえて、もう東岸の攻略の話はしなくなったのでした。 


イスラエルが一つとなって前進しようとするとき、往々にして妨害がおきます。外からの妨害もありますが、内からの妨害は、致命的なものとなり得ます。今回の問題は内部紛争ですから重大な問題となるうるものでした。 この問題にいたった原因をみてみましょう。

<問題の原因>
1つは、東岸に帰った民が、祭壇をつくろうとした自分達の計画と意図を、西岸にしっかりと伝えなかった事です。コミュニケーション不足から、誤解がうまれて、戦いの一歩手前まで いってしまいました。しっかりと意図を伝えていたら、こんな誤解はなかったでしょう。

2つめは、実情が分からない西側の民が、自分達の見方だけに頼って、事実とは異なる「噂」を広めたことです。それを調べずに信じた人が、噂に基づいて判断を下して、噂でイスラエルの民は怒り始め、すぐにでも戦いを始める勢いとなりました。あきらかにこれはオーバーリアクションでした。 あやうい「噂」がでたら、まず、本人の所にいって事情を聞くことです。ピネハスはそのように、事をすすめました。即戦い!ではなく、まず事実を調査したのです。 感情的にならずに判断材料を集めたおかげで、東岸の3部族の本意がわかりました。 それをしっかりと西岸のイスラエルの民に伝えると、みんなが理解して、事なきを得たのです。

西岸の民も必ずしも悪いわけではありません。かれらは、かれらなりに、イスラエルの内に反逆の兆しが少しでもあるならば、イスラエルの使命が中断されてしまいますから、真剣な神様への姿勢のあらわれから、とった行動でもありました。 

双方が、このような誤解して内部分裂するというのは、つねにサタンがしてきたことです。そんな罠を回避して、戦いではなく、誤解を解消して、事実を理解して、神の御心を第一にしてすすむとき、そこには麗しい一致が可能でした。このレッスンをわたしたちの人生の中にいかしていき、神様の民の一致がくずされずにいたいとおもいます。 コミュニケーションをしっかりとって、「噂」と「誤解」の入る余地のない交わりを、私たちも、めざして前進していきましょう。

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