2013年4月9日火曜日

「勝敗の決め手」


ヨシュア記23:1−16


今日から受難週です。2013回目の主の十字架と復活をおぼえる特別な一週間です。すでに一ヶ月前からレントといって、受難週へのそなえの時期をとおっておりました。悔い改めるべきことを内省したり、罪ふかい自分をあがなってくださったイエスキリストの苦難の十字架の前にひれふして、自分がどれだけキリストの憐れみをうけて、いかされているのかを考えてすごせたらと思います。ことし自分に言い聞かせていることがあります。それは、十字架を2000年前の過去の事実として信じるのではなく、今、自分の置かれている生活の中で、十字架を目の前におくということです。今、自分がにぎりつづけている罪はないだろうか、イエス様が、「彼らは自分でなにをしているのか分からないのです。」という祈りをもう一度しなくてはならないように、自分はいきていないだろうか。この世の事で心も頭もいっぱいにせずに、 天国に帰って、イエス様の前にたったときのことを考えて、静かに過ごす時をもたなくては、と思います。受難週のイエス様のすごされた一週間を表にしました。朝のQTのおりに、その日のイエス様の行動をおぼえて、すごしてみるのもいいかとおもいます。 


<人生を振り返る>
ヨシュアの人生は戦いにあけくれた人生でした。敵も多くいたことでしょう。しかし、ついに安住がゆるされて、晩年は主の守りと祝福の中ですごすことができました。振り返ると、生まれた時からエジプトでの奴隷生活、シナイの砂漠での放浪生活、そして、カナンの地での侵入と戦い、と続きましたから、のんびりと過ごすなどという時間をもつことはヨシュアにはなかったでしょう。しかし、いよいよ年老いて、神様の恵みを味わう年となって、ヨシュアは人生を振り返りました。それが23章です。 

<主に栄光>
人生の成功を体験してきた者は、自分の人生の功績につい酔いしれて、話がおわらなくなってしまうことがありますね。しかし、神の人ヨシュアはそうではなかったようです。自分の功績を吹聴(ふいちょう)するのではなく、勝利に継ぐ勝利は、実は、神様のみわざだったと、すべての栄光を神に帰して います。「あなたがたのために戦ったのは、あなたがたの神、主だからである。」自分の苦しかった経験でなく、達成した偉業でなく、自分がしたことは、単に、神様がくださった 「カナンの地を分割せよ」、という使命を成し遂げただけだ、といって、自分の人生のすべての栄光を神に帰しています。

<各部族への激励>
カナンの地の大半はヨシュアの軍によって治められたのですが、しかし、100%占領がおわった訳ではありませんでした。12部族に分割された土地ではあっても、そこにまだすんでいたカナン人がいました。それを追いやって、その偶像礼拝の地をYHWHの下に奪回するのは、これからは、その土地があてがわれたイスラエルの部族に託された使命でした。これまでは12部族の全部族からの勇士達が前線に立って戦ってくれたのですが、今や土地を分割した後では、勇士たちはそれぞれ自分の地にかえってしまったので、自分の部族の中の兵士だけで、戦いを進めないといけないことになったのです。

しかし、モーセを導き、力をあたえ、出エジプトをなしとげさせた神、そしてヨシュアを導き、奇蹟につぐ奇蹟を体験させた神は、偉大なリーダーがそばにいないマイナーな各部族(エシュルン、ナフタリなど)の戦いであっても、彼らを見捨てることなく、 つづけて主の御業を見させてくださる!という熱い確信と約束をあたえてくださいました。 

それにしても、ヨシュアもなく、カレブもそれぞれ自分の部族にもどり、勇敢な戦いをリードしたルベン、ガド、マナセの勇士たちも、川の東岸にかえってしまいました。のこされたマイナーな部族は、「いったいこんな自分達になにができるというのか」、と不安になっていたに違いありません。

そんな部族の者達にヨシュアの励ましが続きます。
5節、「あなたがたの神、主御自身が、あなたがたの前から、彼らをおいやり、あなたがたの目の前からおいはらう。あなたがたの神、主が告げたように、彼らの地を占領しなくてはならない。10節には、「あなたがたの一人だけで1000人を追うことができる。あなたがたの神、主御自身が、あなたがたに約束したとおり、あなたがたのために戦われるからである。」 帰って行った勇士ですら、一人で10人をやっつけても、すご腕とほめられるような存在ですね、テコンドーを考えてみても、1人で一人と戦っても、まける確立は50%です。二人と戦って勝つのはむずかしいでしょう? 10人と一人が戦ったら勝てる可能性は本当に少ないでしょう。日本だったらテコンドーの神、とか呼ばれる人になります。もし、一人が100人と戦えたら、歴史に名ののこるような武将です。それどころではなく、神様の約束は一人が1000人を追い払える!というものでした。力があるからではなく、神様がたたかってくださるから!

<祝福の条件>
しかし、そのような勝利の人生をいきるのには、 イスラエルの民がするべき事が語られます。
1.      律法をまもりなさい。右にも左にもそれてはならない。
2.      残っている異邦人と交わってはならない。彼らの神々の名を口にしてもならない。それらに仕えたりしてはならない。おがんではならない。
3.      神にのみすがらなくてはならない。

見えない神様にすがるのは、信仰が必要です。大きくて強い敵の国と戦うのに必要なものは、常識で考えるなら、より強い武器と、より多い兵士達と、より巧妙な策略です。しかし、神の契約の民イスラエルが勝利をつづけるために必要なものは、このようなものではなく、神様への全幅の信頼と従順でした。というのは、神様ご自身がイスラエルの砦となり、武器であったからです

神様が私たちの砦となって、武器となって、戦ってくださるので、大切な事は、この神様のそばにいることです。 心から、神様のそばにいることです。ヨシュアはこの秘訣を一言で、「神様を愛しなさい!」、という命令でまとめます。もしも神様への愛が完全でないならば、人の心は神様のそばにはありません。恋愛で考えてもすぐわかります。恋愛に熱くもえている二人は、地理的にどんなにはなれていても、心はすぐそばにあります。寝てもさめても、その人の事を考えて、その人に会いにいくのなら、どんな長旅も問題ではありません。 逆に、一緒の場所にいても、心がそばにない二人はさみしいですね。それは恋愛している二人とはいえません。(もちろん熟年の夫婦の愛というのは、恋愛感情というよりも、もっと深い、質のことなる愛です。)

もしも、心が神と共にないような人物 がイスラエルの中におるのなら、そのような存在は イスラエルにとってはとても大きな問題となる、と警告がされます。その警告は具体的に説明されます。1.罠となり、2.落とし穴となり、3,脇腹のムチとなり、4,目の刺となり、ついには、5.神様のくださったこのよい地から、ほろびうせる! という警告です。 神様から離れていく道は、段階的で、徐々に深みにはまっていき、そのダメージはだんだんひどくなり、最終的には、滅び失せる、という、とんでも無い事態になることが警告されました。つまりここでヨシュアは後継者たちに、とても明確に二つの道があることを語っているのです。主を愛し、主の心にそって生きるイスラエルには、主のくださる勝利が約束されており、主のみ心をはなれて、ほかのものに私達の心を寄せる時、そこには 、主の勝利がないどころか、いずれは滅びにいたる罠がある!という警告でした。

<適応>
私たちの人生にも、多くの戦いの場面があります。国と国との戦い、民族と民族の戦い、団体と団体の、また、家族の中ですら 戦いが沢山あります。また、自分自身が戦うべき敵である場合も多いでしょう。そして、私たちは自分をみると、とてもこんな戦いにかつことはできない、と思うわけです。力も、武器も、仲間も、援護軍もなく、なさけない自分だけがいるような気になります。しかし、聖書はかたります! どんなに自分が小さくみえても、それらの戦いに勝利していくことできる、と。 その勝利の方法とは、ヨシュアによると、ミサイルや爆弾を作ることではなく、自分の側につく仲間を増やすことでもなく、相手をおとしめる策略をねることでもありません。勝利の秘訣とは、まず、私たちの心を神様の心のそばにおくことだと。神様を愛し、神様が正義と愛をもって、戦いを導いて下さるのを待つことこそ、神様のちから強い勝利のみわざを体験する第一歩だと! 神様の御旨をもとめないで、この世の方法で動いたら負けます。その道には罠があり、落とし穴があり、脇腹を鞭でうたれるような傷がつき、目の中にトゲを刺されたような状態となり、最終的にはこの地から滅び失せることになる、のです。

みなさんの人生には戦いが有りますか? どう、それに打ち勝とうとしておられますか?勝利の秘訣は、神様を愛し、そのそば近くに行くことです! 

<受難週のまとめ>

イエスキリスト様は、地上におられたころ、人々からは政治的リーダーとしてのメシアとして期待されました。イスラエルは長い年月ローマ帝国に圧政をひかれていたので、ローマをやっつけて、イスラエルの独立を勝ちとり、王位を確立していくこと、いずれはイスラエル王国をローマに次ぐ世界の最大、最強の国にする!そんな事を実現できるメシアを期待していたのです。 しかし、こんな人間的な戦いは、イエスキリストのもたらそうとしていた本当の勝利とはかけ離れたものでした。イエスキリストの勝利とは、十字架の死の中にかくされていたものです。父なる神の御心にそって、その道を進んでいったとき、神様の全人類を救う道をひらくという、大きな勝利を得ることができたのです!


神様の道には勝利があり、この世の道には滅びがあります。主を愛し、主の心をもとめ、主の道をえらんで生きていきましょう! 私たちの人生は1000人の敵を追い払う勝利の人生となりえるのです!

0 件のコメント:

コメントを投稿

 
Design by Free WordPress Themes | Bloggerized by Lasantha - Premium Blogger Themes | Hot Sonakshi Sinha, Car Price in India