2013年4月9日火曜日

「レビの相続」


ヨシュア記 21:41−45

今、日本では「エンディングノート」と呼ばれる物が流行はじめています。これは自分の人生を振り返って文章としてまとめるもので、生まれたときの家族の様子や暮らし向き、世界の出来事などに始まって、家族の事、わすれられない出来事、自慢できることなど 、お世話になった人、影響をうけた人、心を打った言葉、人生の転機や岐路(きろ)など、そして、結婚している人なら夫婦としての思い出、(初デート、プロポーズの言葉、結婚式の様子、など)、現在の親しい友人の名前や連絡先、自分の所有品、また相続の指定などを一冊のノートに書き出す、「自分史」ともいわれるものです。これは人生のまとめと同時に 、与えられている人生をしっかりと生きるための 良い道具だと思います。
ヨシュア記21章はまとめの章です。出エジプトからシナイの荒野での40年に及ぶ訓練、そしてその後の40年に及ぶ、約束の地の攻略の歴史。大スペクタクルに継ぐ大スペクタクルの歴史。イスラエル民族の約束の地をめざした旅も、ここでとうとうまとめの時となりました。この約束の成就の最後に、イスラエルの民がしたまとめは何だったのでしょう。それが今日の21章にあります。
21章の前半は土地の分配をうけなかったレビ族が相続した町の名前が列挙されています。具体的にはアロンの子孫、レビの子孫のゲルション族、メラリ族、ケハテ族が、自分たちの住む集落を、各部族の分割地の中にうけとった記録です。レビ部族の男性の人数は23000人とあるので、単純計算をする一つの幕屋に約500の家族がつかえるという計算。大小の差はあったとおもいますが、基本的には500家族の住める町が48個レビ部族に与えられたことになります。このまとめを読むに当たって、考えることが3つあります。

1.ヨシュア記を読むときにとても大切な<大前提>があるという事。神様がイスラエルに「約束の地」を与えようとしたのは、 全人類を罪とその刑罰から救う、という大いなるご計画の中でなされた、という事実です! カナンの地の占領は、イスラエルという一民族の領土を広げるためでなく、真の生ける神様の臨在と、その方の力を知るイスラエルの民が、ここから全世界に、その真理と救いの福音を伝えていくために、どうしても治めるべき所がカナンの地だった、と言う事です。

2.神様の臨在と力、救いの御計画を全世界にしらせる方法とは? まことの神様の事を知らずにいる異邦の民に、生けるまことの神がおられること、その神の礼拝こそ人間に喜びと意義と安らぎをもたらす礼拝であることを知らせることです 。ジョンパイパーという世界的にもちいられている牧師が、「宣教は、真の礼拝を持たない人々がいるからこそ、するものだ!」と書いています。真の神の礼拝の回復こそ、イスラエルに託された使命です。

ですから、イスラエルの12部族が、カナンの地での戦いのすえに分割されて得た地は、イスラエルの所有地であること以上に、イスラエルの「礼拝の地」だったといえます。それで、各部族が分割地を得て、何よりも大切にすべきことは、生活をたてあげる事よりも、まず、礼拝を確立する事でした。80年にわたって大集団で生活してきたイスラエルが、今からは、分割されて、それぞれの地に定着していきます。このようにカナンの地に分散・拡張したイスラエルですから、ともすれば礼拝の質がおちることもありえます。もしも、そのようになるのなら、エジプトをでてきた意義、80年に及ぶ荒野の体験も、意味がありません。今、戦いが終わり、使命のまとめの時にすべきことは、この本来の目的をしっかりと目の前に掲げ、神様のくださった使命、「まことの神の礼拝」をしっかりと各部族に伝授し、そこで代々その礼拝の民として生き続けるようにすることでした。それで、各地にレビたちを派遣 して、幕屋, 聖所が確立されて、礼拝がまもられ、部族のすべての営みが、神様を礼拝することを中心に繰り広げられるべきだ、ということをしっかりと確立させたのです。

3.この重要な役割をになうレビたちは、神様の目には特別な存在でした。通常の民が参加する戦いや、生活の糧のための労働には関わる事はありませんでした。神様が託したアロンの家系とレビ族の役割は、幕屋や聖所がしっかりと整えられ、ここでの民の礼拝が正しくなされるための働きでした。
                  アロン(モーセの兄)は祭司職を任命された。祭司達アロンの家系。
                                    祭司の役割:犠牲の血を民から受けて、祭壇に注ぎ、祭壇の上で焼く
                                                      民を祝福する、きよめる 、角笛をふきならす(戦いの呼び出し)、
律法を教える、火をたやさない、       
他のレビ族の役割、幕屋の道具を運び、管理する、 幕やの部品を管理したのです。礼拝がいい加減にならないようにと、特別な使命をうけました。他の部族には触る事も許されない事。

<適応>さて、今の時代の祭司とはだれでしょうか? Iペテロ2:5 には、弟子達に「そして聖なる祭司として、イエスキリストを通して、神によろこばれる霊のいけにえを献げなさい。」と弟子達にむかって語られています。私達イエスキリストの弟子達は、実は、今祭司の役割をうけているのです。私達が純粋な心をこめた礼拝を、生ける神の前に整えるとき、民がただしい生き方をすることができ、神の恵みをうけとることができ、その祝福を全世界にながして行くことができるのです! アブラハムへの三つ折りの祝福の成就です!
新約の時代に生きている私達は、今は動物のいけにえを幕屋や聖所に献げる必要はありません。すでに十字架上で、尊い 神の子羊が贖いの血潮を流してくださいました。この血潮によって、すべての罪がゆるされるというすばらしい福音を、私達はうけています。あとは、この史実を、全世界に、また、次の世代に届けることです。
私たちは祭司の家系として、礼拝こそが生活の中心であり、生活の最高の時間であり、礼拝の中で主と会見するとき、主の栄光がモーセの顔の輝きと映ったように、私たちの人生も主の栄光の映しがあらわれるようになるのです。

<まとめ> この真の神の礼拝こそが、自分たちの子々孫々 にしっかりと受け継がせていくべきことです。私たちの家系が、私たちの教会が、 神様のこの偉大な人類の救済というご計画の中に力強く用いられる者となりたいと思います。私たちの子供たちに、土地を多く残すことでなく、大きな家を残すのでもなく、自慢できる学歴や職歴を残すのでもなく、どんなに苦しい中でも、神を呼び求める信仰のすばらしさ、神様の力と恵みの体験を最高の相続物として残していきたいものです。
そのような人生観、世界観、神観 をもって歩むとき、その人は神様の祝福にあふれるでしょう。初め神様が下さったアブラハムへの約束は、私たちにも成就するのです!アブラハムへの祝福、子孫への祝福、諸国への祝福です。神様の約束は、神様をただしく礼拝しつつ歩む神の民には、かならず、すべてが成就します! 
新年度、礼拝を中心とした人生を歩むときの、神様の約束が成就していることを、みなで体験していきましょう!


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