2013年5月11日土曜日

「生きるにも、死ぬにも」


ピリピ人への手紙 1:12-26 

政治情勢が不安定で、全世界が東アジアがどうなるのか見守りながら一週間をすごしました。韓国の皆さんはこんな中でも平常心を保って生活しておられて、いつも関心しています。本当にどんな事がおきても、私たちクリスチャンは大丈夫です。行き先がわかっている旅には不安はなく、楽しみがあります。ただ、大切な命がむだに落とされることがないように、クリスチャン達の地上の命が長く与えられて、イエス様の福音をより多くの方に語りたいとねがいます。ですから、大きな戦いにはならないように、と祈ります。今月の暗唱聖句も、こんな時にぴったりの励ましです。

暗唱聖句 いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事に感謝しなさい。

ピリピ書112節から、御言葉の力をうけたいとおもいます。 

<ピリピ書の背景の復習>
パウロがマケドニアの男からの助けを求める夢をみて、アジアではなくヨーロッパに向かいました。その旅の途中で立ち寄った町がピリピです。ピリピはこの地方の第一都市で、ヨーロッパの玄関に近いので、政治、経済、文化が発展していた地方都市とおもわれます。小アジアの教会にくらべて離散ユダヤ人の数は少なく、町の中は主にギリシャ系の文化が占めていたのでしょう。ですから、そこに、全くことなる文化を持つユダヤ人パウロが来て、ギリシャ神話とはまったく異なる神の話をしたりすると、違和感や反感を簡単に買うような土地だったと思われます。当地の有力者であるルデアの家族がパウロの教えに加わるようになり、 占いの霊に憑かれた女から悪霊をおいだしたりしたので、今まで大事なくすぎていたピリピの町に、様々な騒ぎをおこした事になってしまいました。特に 占いの女の子から稼ぎをあげていた者達は、商売を邪魔されたため怒りはパウロ達にむかって燃え立ちました。結局当地の官吏にひきわたされ、鞭うちの刑をうけて投獄されました。パウロ達は普通のろうではなく奥の牢に足かせをして投獄されました。しかし、その中で神を賛美し、祈りをささげたとあります。他の囚人達もそんな人には会ったこともないでしょう。いったいどんな人物なのか、どんなことを祈るのか、賛美の内容にも耳を澄ませていたに違いありません。その晩、地震がおき、牢のドアは開き、なんと足かせも解けてしまいました!牢番が我に返ったとき、みんな逃げてしまったに違いない、と責任をとって自害しようとしたら、パウロ達が暗闇の中から、みんなここにいる!自害してはいけない、と語りかけたのでした。この牢番もパウロ達の賛美や祈りを聞きながら、今までギリシャでは聞いたことのない神だ、と思っていた事でしょう。しかし、実際、このような事がおきても、逃走しなかったパウロ達を見て、 牢番はパウロの信じる神が特別であることを感じたに違いありません。「先生方、救われるためには何をしなくてはいけませんか?」 彼の人生を変えるこの質問をしたのです!パウロは答えます!「主イエスを信じなさい。そうすればあなたもあなたの家族も救われます。」そしてその通りに、牢番の家族全部が救いを受け取りました。テモテをこの町に残して、新しく生まれた教会(信者の交わり)をケアするようにして、パウロとシラス、そしてこの町で加わったと思われるルカ達は、次の町テサロニケに向かいます。パウロのヨーロッパ宣教の旅は、はじめから困難を伴ったものでした。

<パウロの信仰と人生観>
実際パウロは宣教旅行をする中で、ユダヤ人から39の鞭を5回、鞭打ち3回、石打ち1回、水難、盗難、荒野、仲間の裏切り、異邦人の拒絶。。。と体験を語っています。そんな人生を通りながら、再びローマで投獄された時に獄中から書いた手紙がピリピ書です。パウロの背中には古い傷が癒えるまもなく、あたらしい鞭の生傷で無惨な状態だったかとおもわれます。そんな人生を送ってきたパウロにとって常に励ましをあたえてくれたのは、このピリピの教会の人達でした。ルデアの支援、牢番の一家、悪霊から解放された女奴隷、そして、牢屋の中で回心した人も何人かはいたでしょう。パウロの宣教の故に人生を変えられたピリピの教会のクリスチャン、この人達はパウロの喜びの源だったことでしょう。

12節「さて、兄弟達。私の身に起こったことが、かえって福音を前進させることになったのを知ってもらいたいと思います。」といって、状況を説明しています。まず、
1.事情徴集の段階で、なぜ投獄に至ったかを話す中、キリストの事を一杯証しができました!総督官邸の親衛隊のメンバーは、キリストの事をしっかり聞きました。
2.わたしの投獄で、信仰の兄弟達は主にある確信を与えられ、私の模範に倣って自分達も苦しみを恐れずに伝道するようになった。

自分が投獄されたことを悲しむよりも、その中で神様がすばらしい事をしてくださっているのを喜んでいるのです。みなさんは、大変な事があったけど、その中で神様の恵みを味わったという体験をもっていますか? きっと沢山の方がそんな経験があると思います。もし、まだなかったら喜んでください!神様の手に自分の人生を託したらすばらしいことが沢山おこり始めます。そして大変な事も おきますが、大変な事がすばらしい 恵みにかえる事を味わってください!パウロはこの人生の秘訣を心得ていました。
15節からを読むと、パウロの周りで反対をする人が居たことがわかります。パウロの立場と召命を理解している人もいたけれど、パウロに反対しているクリスチャンも居たようです。内部での諍いは、外との戦いよりもきついです。どうやらパウロが福音を弁証するために立てられている事への反発のようですから、パウロのユダヤ教の背景への不満とか、論理的な話方への不満とかがあったのでしょうか。ユダヤ人のパウロでなくて、ギリシャ人のリーダーを、とか主張する人がいたのかもしれません。パウロに敵対する党派心が、その根底にある諍いです。しかしパウロはそんな事もまた問題視せず、党は心からであっても、人々がキリストを述べ広めるのだったら、自分は喜ぶ! と、喜びを語っているのです。党派心をはるかに乗り越えている大きな人物だということが分かります。
19節「と言うわけは、あなたがたの祈りとイエスキリストの御霊の助けによって、この事がわたしの救いとなることをわたしはしっているからです。」パウロは、このように投獄されたり、クリスチャン仲間に非難されたりすることで、パウロが祈りのリクエストをピリピに送り、ピリピのクリスチャンがさらに祈りを熱くしてくれ、その祈りに神様が応えて、御霊の助けをおくってくださる、という恵みのサイクルを語ります。困難がそのまま神様の恵みである、という信仰と人生観。 この姿勢はクリスチャンの特権です。
そして、パウルの有名なことばに続きます。
20節の途中からよみます。「即ち、どんな場合にも恥じることなく、いつものように大胆に語って、生きるにも、死ぬにも私の身によって、キリストがあがめられることです。 わたしにとっては生きる事はキリスト、死ぬこともまた益です。」
投獄されることも福音を前進させた、と言い、それを喜んだパウロ。党派心をもって自分に挑んでくる人も、それによって福音が広まった、と喜んだパウロ、この人生観は、死に関してまで及びます。 生きるときも、死ぬとしても、神様があがめられたら、いつ、どんな方法で死のうとも、問題はない。と、明言しています。
パウロの時代は今の韓国や日本ではなかなか考えられないような時代でした。ローマの皇帝ネロが君臨しており、暴君というあだ名のとおり、家来だけでなく、家族まで次々と殺してしまうような乱暴な王の下に、パウロ達は逮捕され、投獄されていたのです。 ネロはクリスチャンを迫害するので悪名高い暴君です。ローマのコロッセウムで何百人ものクリスチャンが動物の餌食にされたり、たいまつのように燃された記録がのこっています。パウロは、この状況の中で、いつ呼び出されて処刑されるのか、わからない一日一日をおくっていたことでしょう。その彼が、「私にとっては、生きる事はキリスト、死ぬことも益です。」と語るそのことばの重さは、自分のようなものにはとても計りきれないものです。 この言葉を初めて読んだときから、ずっとその意味をつかみきれませんでした。今週ずっと瞑想しましたが、今まだこの言葉の深みをわかりきれません。
生きることは、キリスト    
            の: めぐみの故、あわれみの故、すくいの故、ちからの現れ、 すばらしさ、
            を: 礼拝すること、賛美すること、あがめること、高めること、証しすること、誉めたたえること、
            と: ともに歩むこと、ともに進むこと、共に賛美すること、まなと共にくるしむこと、と共に死ぬこと、
            に: 感謝をささげること、栄光が帰されること、すべての民がひれ伏すこと、 
どのことばを、生きることは、キリスト。。。のつづきにつけても、キリストのすべてを言い表せないです。
パウロもこんな心境だったのでしょうか。言い尽くせないまま、いきることはキリスト、と表現したのでしょうか。もっと深い意味でこの言葉をはなしたのでしょうか。

「死ぬことも益」としてとらえる. キリストにある者は死ですらもすばらしい事となる、というパウロの確信です。死は私たちのまとめであり、天の御国への移行にすぎません。それは凱旋という祝うべき時でもあると内村鑑三はかたり、娘のお葬式で「ばんざい」とさけびました。 三浦綾子は、人生の最後に、「わたしにはまだ死ぬという大事な働きがのこっている」といいました。 死ぬことも益という、まさにキリスト者としての証しです。

もう一組の、50年前に、このことばをそのままに生きた人物の証しをさせていただきたいとおもいます. 
4分半のビデオです。

http://www.youtube.com/watch?v=-ioImRMAP9Y

わたしたちもこの凱旋の列にくわわるものでありたいと願います。

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