2013年5月12日日曜日

「志を一つに」


ピリピ人への手紙 2:1-11

今年の野外礼拝が昨日行われました。バスが丁度いっぱいになる 40名の参加でした! 暑くもなく、寒くもなく、雨もふらず、日差しが丁度よく、神様が天候から恵んで下さいました。プヨの歴史を朴執事さまから聞きながら南下しました。バスの中では、おなかがすいたな、と思うと朝ご飯がでてき、のどが渇いたとおもうと飲み物や果物がでてきて、至れり尽くせりの、河勧士様と権執事様の奉仕ぶり、今年も見事でした!元伝道師様の準備したゲームは、賞品も準備されていて、バスの中でしたが、とてももりあがりました!雄介伝道師は礼拝を導き、また、賛美しよう!からの若者達との交わり深めてくれました。 山にのぼり、川をくだり、5種類くらいの焼き肉をたべ、大博物館を見学し、演劇を見、山城を見学する、と、聞いただけでは信じられない程の活動を一日でしました! この全部を日本語礼拝部の皆さんのために、一緒懸命に準備して、リードしてくれたのが、李ジョンチョル執事様でした! ご苦労様でした。また、お体の弱さをおして参加してくれた皆さんや、やさしい言葉をかけながら、楽しませて下さった皆さんのおかげで、みんな和やかな交わりをして、本当に楽しい一日を過ごす事ができました!今回参加できなかった皆さんは、是非、来年は何をしても参加なさってください!

昨日の野外礼拝のメッセージでもあった詩編46編から今月は御言葉をまなびます。
暗唱聖句「神はわれらの避けどころ、また力。苦しむとき、そこにある助け。」詩篇461

ピリピ書
先回読んだパウロのピリピの教会へのアドバイスは、「キリストの福音にふさわしい生活をおくる。」ということでした。ピリピの教会の信者の多くは、他の宗教からクリスチャンになった改宗者だとおもいます。改宗者の特徴の一つは、頭で福音を理解して、説明はできるが、行き方はまだ古い生活や価値観がしめている場合が多いということです。私もその一人ですがクリスチャンになり立ての時は、イエスキリストの事や、神様の愛については情熱をもって証しできるのですが、その生活や、振る舞い、生き方は、まだまだ以前の生き方から変わらなくて、何度も失敗して、悔い改めながら、御言葉と聖霊様の働きで変えられてきました。
  ピリピの教会は生まれて十年余りで、まだ、十分に成熟した教会とは言えません。言葉では福音を伝えられ、熱心に福音伝道には携わったと思いますが、生き方までは福音にふさわしい、といえるレベルにはなっていなかったようです。 生き方というと、身近な人(家族や部下)への接し方、苦難に直面したときの対応、自分より小さい人にどう接するか、または、自分の力の顕示力や誘惑があったときの振る舞い、などでしょう。様々な場面で、まだ神様の御心に十分従ったとは言えない部分が、生活のあちこちにあったのかもしれません。パウロは、「生き方が福音にふさわしくなる、この一つだけをしっかりと目指しなさい!」どこを切ってもキリストの香りがする、そんな生き方、そんな人物となるように、と勧めています。

  皆さんの生き方は一言でいったらどんな言葉になりますか? 金すんうく主任牧師様を一言でいったら、、、「牧師のプロ」、雄介伝道師は?「賛美の管」、わたしの同僚で、とても真摯な生き方をしている人がいます。驚く程「正義ときよさ」を保って生きている人ですが、学生達はよく、彼をみると「イエスキリストを感じる」といっていました。すばらしいですね。パウロは、ピリピの教会の聖徒達に、「福音があなたの生き方になるように!」と勧めているのです。

そして、その後と今日読んだ2章にかけて、さらに具体的に、そのように福音を生きた人が集まったら教会はどうなるか、が説明されています。
1)霊の一致(信仰の一致)
   教会は、霊性の強い人達が集まっているだけでなく、そこに一致があるベきだ、というのです。霊的なことは目でみることがなかなかできないので、判断がむずかしいですね。とても熱心な人がいても、かならずしも霊が同じではないことがありえます。私たちの体温は、体温計で36度で正常だとか、39度もあって大変だ、とか判断できるわけです。しかし霊性をはかる計りがないので、正常な信仰か、異端なのか、これはその生き方、実を判断しながら、御言葉によって見分けなくてはなりません。
   いろんな異端の方とおめにかかって話をしてきて、かなり多くの場合、異端の人とは霊の一致がもてないことが分かってきました。日本からも時々、“こんなグループが韓国から来ているけれど、異端かどうか調べてほしい”、と聞かれることがあります。だいたいは、発行している文書をみたり、インターネットの動画などをみると、おおよその区別がつけるようになってきました。数ヶ月前に日本から、このグループはどうか、という問い合わせがきたのですが、調べてみるとこのグループは、聖書の権威を利用して、組織のリーダー格がかなり強い統率力でひっぱっており、カルト的だと感じました。使うことばは、イエス様、十字架、復活、天国、など私たちと変わらないのですが、なにか臭いを感じました。 ここ数年日本では、“バイブルカルト”と言って、神論やキリスト論、救済論などは間違っていないのですが、教会がとても強く人格を否定するほどにコントロールしてしまう教会がいくつか出てきて、問題になりました。西洋の教会史にもあるように、神の権威を人間が握り締めるとき、教会は道をはずれます。実は、先週もそんな連絡が日本からきました。このグループは女性の宣教師の教会でしたが、元気がある所は、日本の教会と全然違うのですが、教えていることに耳を傾けると、全く問題を感じませんでした。むしろ霊的な一致を感じました。みなさんは異端の人と出会った時に霊に違和感をもちますか? 先々週ハレルヤ教会の2Fカフェで映画のチケットを配っていた女性がいましたが、すぐに霊に違和感を感じて、この映画会はもっと調べてからでなくては行ってはいけない、と思いました。大丈夫だったでしょうか? もちろん100%は見抜けないのですが、霊が一致しているかどうか、おおよそ感じ取れるように、いつも御言葉の真理に目をとめていたいとおもいます。そして、霊の一致を保つことが、まず教会の重要な一点です。

2)つぎにパウロが指摘しているのは、“心の一致”です。ここで、「心」といっているのは、人間の意思や思考に関わるものです。自分ががんばる場所という意識でなく、みんなで一緒にがんばる、ということでしょう。神様から受けた使命があった時、それをみんなでどう実現するかを決めて、力をあわせてビジョンに取り組んでいく姿勢だとおもいます。 つまり、教会に集っている人は、個人個人がしっかりとした信仰をもっているだけでなく、みんなが心を合わせて、どちらの方向に向かって、何をすべきか、など一致してすすむことが大事だ、ということです。
1節に、パウロのピリピの教会への褒め言葉があります。キリストにある励まし、御霊の交わり、愛情、憐れみ、が溢れている教会。キリストの事がしっかり伝わっている、御霊の御業もあらわれている、愛と憐れみのある交わりもある、とあるのでほぼ完璧ですが、かけていることは、これらが一人舞台として進んでいるという点でした。一致して、みんなで、霊と心をひとつにして、同じ方向に、同じ歩みですすんでほしい、というのです。

3)“りっぱなクリスチャン”の落とし穴、 
·       良いことを、自分が「立派なクリスチャン」になるためにする
·       虚栄心 − 目立ちたがる。見せかけで、立派になろうとする、ほめられたい、認められたい。
·       それに成功すると、“自分は立派だ”と思うようになる
·       すると、自分の方がよりまさっている、という錯覚をおこしがちになる
じつは、今まですばらしいと思った神学者や牧師先生にすべて共通していた事は、「知恵深さ」と「謙遜」ほんとうの知識は人を謙遜にするのだ、と思いました。本当の信仰も、人を謙遜にすると思います。

4)パウロの警告
            自己中心をやめよ- 自分の都合のために事(人)を利用しない。 人助けは落とし穴
            虚栄心をすてよ、自分を実際よりも大きく見せる。
            自分の事でなく、他の人を顧みなさい。 相手の気持ちを察する。
           
            一端立派になると、自分のポジションを主張したくなる、「こう扱われるべきだ!」

キリストの謙遜            
 イエスキリストは、神——> 人、仕える者のすがた、——> 死(死刑囚)人間の中でもっとも低められた存在。
キリストの謙遜:まずしさ、疑い、裏切り、みすてられた、父にすてられた、犯罪者扱い、えん罪による処刑 —>人間の味わう苦しみのもっともひどいものを味わって下さった

            だからこそ、人の弱さと苦しみを理解できるまことの大祭司(ヘブル)と言えるのです。
           
<適応>
立派なクリスチャンを目指すことよりも、イエス様の生き方に倣ったクリスチャンになる、
自分の事をかんがえるのではなく、他の人のために生きるクリスチャン。

今週ひとつの提案があります。私たちの中で、だれか一人、神様が示して下さる人に親切をしませんか? まずその人の為に祈る一週間。毎日その人に神様の祝福があるように祈りましょう。そして、その人になにか具体的な祝福を提供したらどうでしょう?それは、感謝を表すことでもいいし、励ますことでもいいです。自分の考えとか、仲良しグループとかでなく、神様がしめしてくださる一人か二人に、恵みをとどけたらいいとおもいます。匿名でできたらすばらしいです。 知らないうちに、その人に恵みがとどくように。来週の日曜日でも、再来週でも。愛の一致がひろがりますように!

            

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