2013年9月28日土曜日

「民の負債を帳消しに」

ネヘミヤ記 5:1-13

金曜日のマンドリンコンサート素晴らしかったです。感動を覚える演奏会でした。また、日本からのチームと合同でのアリランの演奏は、ふたつの国が、一緒になって韓国の伝統音楽を奏するということで、音楽以上の感動がありました。こんなすばらしい、マンドリンチームが、日本語礼拝部にあることも、本当に感謝に思いました。これから、聖歌隊、賛美チームともども、日本の方々に恵みをとどける道具として、力強く用いられて欲しいと願います。

9月の暗唱聖句> 

<導入>
            このところ、世界の各地で内乱がおき、独裁主義国家の民主化をもとめて、また、経済格差の問題からのさけび声が、社会運動として表にでるようになりました。それは、一国内の出来事だけでなく、グローバル化が進んでいる今日、経済格差の問題などは、問題自体が世界規模になり、富む者は世界規模で富み、まずしい者は世界規模で貧困の中におかれる事になっています。かたや、町中がお城のような国があり、かたや、国中がスラムのような、通りがぜんぶゴミ捨て場のような国もあります。この経済の問題は、それだけでは収まらず、社会の様々な場面に影響をおよぼします。 アジアやアフリカの国をまわると、しばしば耳や目にするのは、女性と子供達の悲劇です。田舎にすむ貧しい家の子供達を、都会で教育や仕事の機会を提供する、という甘い言葉で、ほぼ誘拐のようなことをして連れてこられ、女性達は子供のころから奴隷のように扱われ、又、多くの子供は、奴隷よりひどいことをさせられ、男の子供達は奴隷農場にうられて、動物のように扱われているという、目をおおいたくなるような情景を見せられました。人身売買の多くが、原因は貧困と教育の欠如です。このままもっとグローバル化がすすんだら、貧富の差はもっとついて、富む者はもっと富み、貧困にあえぐものはもっと犠牲をしいられることになる構図がすすむことでしょう。聖書はいったい、このような問題をどう扱うように示唆しているのでしょう? 今日のネヘミア書の5章の中から、学びましょう。

<ネヘミア書について>
            ネヘミア書というのは、旧約聖書の最後の部分にあたります。BC450年頃のペルシャの話で、日本はまだ早期弥生時代という、だいぶ時代をさかのぼった頃の記録です。ユダヤ人はもともとパレスチナの辺りに国を建てたのですが、ペルシャに攻め込まれて、 奴隷として連れていかれていた時代でした。主立った者達はペルシャに連れてこられていたので、祖国ユダのエルサレムの城壁は、荒れ果てていました。 それを憂いてなんとか、祖国の城壁の再建をと、ペルシャで王様に仕えていたネヘミアという人物が立ち上がったのです。そして、ペルシャの王に許可をもらい、祖国の城壁の再建工事を始めたのでした。
           
工事は、簡単ではありませんでした。ネヘミアのビジョンに賛成して、協力をおしまない人達もおりましたが、ユダヤ人がまたパレスチナにもどってくるのを喜ばないカナン人もおりました。さらに悪いことに、カナン人が攻撃を仕掛けてきそうになったとき、ユダヤ人の中側からも あきらめる人や、工事に反対する人たちも出てくる始末でした。
           
            5章の今日の記事が、4章までの記事と同じ時期かどうか、学者達も確定できないのですが、この場所に5章がおかれているので、工事が簡単にはすすまなかった状況を、具体的に垣間見ることができるわけです。
 
            お読みいただいたように、5章の中では、ユダヤの民の内部の混乱が記録されてます。1節「ときに、民とその妻達は、その同胞のユダヤ人達にたいして、つよい抗議の声をあげた。」 普通ユダヤの慣習では、女性達は公の場面にはあまり登場しません。ここで、妻達も強い抗議をする、という表現に状況の厳しさを感じ取ることができます。

最近インドで、 バスの中にのった若いカップルの女性が、6人の男たちに暴行されて、(ひどい暴行でした!)走っているバスから放り投げられた事件がありました。その後に5才の少女、外国人旅行者, カメラマンなどが犠牲になって、女性達・また良識ある男性たちが、警察がこのような犯罪をきびしくとりしまってこなかったことへの抗議をしました。ネへミアの時代に、女性達までもが抗議に参加したというこの記事に、事の深刻さが伺えます。

ユダヤの民の4人が抗議活動をしています。 まず、子供達が沢山いて、みんなをやしなう食料を買えない、 という人。 次に“飢饉がおこって、穀物を買うために、畑、家を抵当にいれて借金しなくてはならない、 と訴える自然災害の犠牲者、また、“税金をはらうために、畑、ブドウ畑を抵当にして借金した”という重税の犠牲者で、 この人は、借金の抵当になるものもなくなって、とうとう子供達を奴隷として売らなくてはならなくなった と嘆いています。

このような嘆きを効いたリーダーのネヘミアは、「非常に怒った」とあります。そして、彼は「十分に考えた上で」代表者達を集めて、まず非難の言葉を発しました。ネヘミアが指摘した問題とは、ユダヤ人が、同朋のユダヤ人に「担保をとって金を貸していること」、つまり高利貸しをしていることでした。この問題は代表者だけにとどまらなかったので、大集会を開いて、民の全体の中でも、訴えます。「わたしたちは、いったん異邦人に売られた兄弟達(ユダヤ人同胞)を、できるかぎり買い戻してきたではないか!」 
ペルシャ人の奴隷となっていた者達をつれて、ユダヤに戻ってくるためには、奴隷の買い戻し料を沢山はらって可能だったのでしょう。しかし、この時、そんな過去をわすれて、困った人を食い物にして、自分の財産をふやしはじめたユダヤの民がいたわけです。

旧約聖書の中のユダヤの昔からの律法には、驚くべきルールがあります。(1)同胞からは、一切利息をとってはならない。(申命記2319節)、(2)借金は7年毎に帳消しにすること(申命記19章)、(3)買い取った土地であっても50年目には元の持ち主が買い戻しの権利をもっている=「ヨベルの年」(レビ記25章)。ユダヤ人の間では、貧富の差が大きくならないように、このように律法の中に、神の配慮があるのです。お金の力をよく知っているユダヤ人でしたから、お金よりも、人の命や、社会の福祉が大切だという事を、律法を通して神様はおしえておられたのでしょう。

そんな教えをどこかに押しやって、同朋相手でも、お金になる高利貸しをはじめた人達がいたわけです。それも、当たり前のように、子供を奴隷に売らなくてはならないような、心痛む瀬戸際まで来ていても、同朋を配慮をしない民、また、神の掟である律法ないがしろにする民への義憤が、ネヘミアの怒りでした。 

実は、ネヘミアも、ペルシャの王様の側近でしたから、奴隷としては、ハイクラスの人。彼も彼の親族もそれなりの財産を持っていたでしょうから、彼らのところにも借金を願う人達がいました。そして皆、 貸して上げていたようです。もちろん利息はつけないで。それで、彼は高利貸しをしていた民に、真っ向から語りました。「あなたがたのしていることは良くない!神の民として律法に従っていきるべきだ! このままでは異邦人のそしりをうける!」まず神様の教えを思い出させて、「わたしも、親族も、貧しい人達に金や穀物を貸してやったが、それを帳消しにしよう。だから、あなたがたも、今日、畑や家を返し、利子を返してあげなさい!」
ここでネヘミアの自分の犠牲と民への要求には差があるのに気がつきましたか。民には、利息で取り上げた部分をかえしなさい、という命令ですが、自分と親族は、借金自体を帳消しにする、といっています。民はまだ、貸した物はいずれは返してもらえる設定です。ネヘミアは、借金自体を帳消しにしていますから、その犠牲ははるかに大きいのですが、このようにすることで、困っている同朋を助けるのが神の御心、ということを身をもって実践したわけです。民はこのリーダー、ネヘミアの決意に心刺されて、もう一度神様の律法に従うことを誓ったのでした。
           
貧しさのゆえに子供を売らなくてはならかった人達には、この知らせは、どんなにおおきな喜びだったでしょう! 神様のおしえが自分を守ってくれることを、肌身をもって体験したのですから、民の中に感謝と喜びがあふれたに違いありません。


<適応>
            私達の生活にも差し迫った必要から、どうしても負債を余儀なくされる人があるとおもいます。社会の中の邪悪なグループや、悪いシステムの犠牲となって、もっと苦しい状況に置かれている人もいます。神様は、そのような小さい魂をみすてられません。律法の中に繰り返し命じられている、「孤児、寡婦、在留異国人、奴隷」を配慮しなさい。また、収入源のないレビ人にも、配慮しなさい」、とおっしゃる神様の、優しさとあわれみ深さが、律法の中に散りばめられています。

わたしたち、神様の教えに従って生きようとする者として、この神様の心を受け取って、自分にできることで、世界の貧困や、搾取にくるしむ人たちに、助けの手を伸ばすことをしたいとおもいます。(コンパッション、ワールドビジョン、国際飢餓対策機構、オープンドアーズ、殉教者の声(Voice of MartyrsHope)など、苦しい状況に暮らす兄弟姉妹達をたすける団体があります。神様の働きのひとつとして加わってください。

            また、負債をおっている人にも聖書のおしえがあります。ローマ書13章には、「誰に対しても負債があってはいけません。ただし互いに愛し合うことについては別です。」とあるので、仕方なしに借りた人は、一緒懸命はたらいて、すぐに返す努力をすべきです。

<まとめ>
            わたしたちは、じつは、金銭の負債がないとしても、皆が“罪”という負債を追って生きています。数々の偽りやごまかし、冷血や暴力、性的な罪、金銭の罪、親に犯行するつみ、など、重ねて生きてきました。このおおきな負債を神様に背負っていきてきたのですが、イエスキリストの十字架は、その負債を帳消しにしてくださいました。神様のわたしたちに対する愛と哀れみの証拠です。

十字架の上でながされた血潮は、わたしたちの過去の、また、現在の罪をすべて帳消しにしてくれるヨベルの宣言の十字架なのです!

罪の重み、罪の結果、責めからも、わたしたちは開放されていきることができます。今日がその第一日であるように、おいのりします! 

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