2013年9月7日土曜日

「力をあわせて」

ネヘミヤ記3:1−5

挨拶
ジャカルタでの学会を終えて、日本に向かい、東京で趙先生の奉仕する練馬神の教会で礼拝奉仕をさせていただきました。趙先生は、「かゆい所に手が届く」という表現どおり、何から何まで、手際よくこなして大活躍をされていました。 ですが、海外で一人で住むことは大変な事があります。皆さんの電話やお便りの励ましで元気がでるとおもいます。 その後の大阪での学会と奉仕を終えて、 一昨晩もどりました。先週は、雄介伝道師様のメッセージデビューでした! たのもしい元伝道師と雄介伝道師におまかせしていたので、安心して宣教活動ができました。 また、皆様のすばらしい奉仕とお祈りも、感謝します! 

さて、猛暑も収まりはじめて、いよいよ秋学期がはじまります。日本語礼拝部では、今週末の土曜日に、 一回目の「日本語礼拝、夏の特別祈り会」を持とうとしています。ハレルヤ教会全体の祈り会には参加しますが、ふだん、日本語礼拝部として、心を合わせて祈る時がなかなか取れないので、下半期を始めるにあたって、まず、祈りと賛美を通して、一人一人が神様に近づき、共同体として霊の一致をはかって、新学期にすすみたいとねがいました。土曜日の夜のプログラムです。まずおいしい夕食をみんなでして、お互いの交わりと分かち合いの時をもち、それから、主の臨在の中での賛美や祈りの礼拝をもちます。そして、みことばのおすすめを、この日は特別に、ヨきょんぐ長老様にお願いしました。じつは、長老様は、外国語礼拝部担当者の祈り会で、お祈りを導いてくださいましたが、教職者達も心を打たれる、御座の前に私達をひきだしてくれるリーダーです。お祈りについてのおすすめを頂いて、心をあわせて祈りこみたいとおもいます。9時過ぎにはおわる予定です。夜のプログラムですが、それだからこそ味わえる恵みがあります。ぜひ、お時間をとって参加してください。祈りにゆたかに答えて下さる神様の恵みを期待して、ぜひご参加ください。

暗唱聖句「  」

<祈り>
ネヘミア記3章です。神の民であったイスラエルは、捕囚の民として異邦人の国ペルシャで奴隷となっていました。故郷が荒れ果てた状態だという噂を伝え聞いたネヘミアは、ほっておけなくなって、城壁の再建をしなくては!というビジョンを持ちました。自分の家をたてるのも大仕事ですが、奴隷であった民族が、自分の国を再建することは、全くもってとんでもない事だったでしょう。しかし、神の民としてネヘミアは、このビジョンをうけとりました。そして、祈りつつ 王に近づいたとき、なんと帰還の許可がおり、また、材木や守備の兵など、王の好意をうけたのです。神様にゆだねたときにおきる、主の恵みの奇跡でした。

ネヘミアは、この事は人間的にはすすめても、何にもならないことをよくわきまえていたのでしょう。ましてや、かってイスラエル人に自分の土地をうばわれたカナン人ですから、イスラエルが捕囚にひかれていった時は、「ほら、みたことか!」と思って居たのですから、もう一度、イスラエルが城壁の再建のため戻ってくるというのは、気に入らないわけです。サヌバラテやトビヤなどの反対者もでてきました、また、同胞の中にも、そんなことは無理だと考える人もいたでしょう。しかし、ネヘミアの主の導きの中でうけたビジョンと決意は変わらなかったのです。 王の献酌官という立場の人間が、神様からのビジョンをうけて、この事業にあったのです。これに応答したのは、大祭司エルヤシブだったようです。

1節をみると、大祭司であったエルヤシブがまず、ネヘミアのプロジェクトに同意しました。 そして、同意するだけでなく、自分の弟達を呼んで、真っ先に工事にとりかかっているのです。かれらは羊の門の再建からはじめました。聖別した、とあるので、神様に献げる物だという意識をはっきりともって、扉をとりつけました。メアのやぐら、 ハナヌエルのやぐらにまで及んだ、とあります。 その仕事はエルヤシブの組から、エリコの人々に受け継がれました。エリコのチームがおわるとザクルのチームが受け継いで建てていきました。これらは、上からの命令でやったことというよりも、自主的にあるグループが受け継いで、だんだんと壁が修復されていったのでしょう。

魚の門はセナアの子らが建てたとあります。門ですから、梁や扉(とびら)やかんぬき、横木が必要です。かれらは、このような一つ一つを魚の門につけました。 その働きは、メレモテが修理に加わり、メシュラムが加わり、ツァドクが加わりました。次にすすみでたのは、テコア人のグループでしたが、ここには、すこし残念な事が記録されています。 「そのすぐれた人たちは、かれらの主人達の工事に協力しなかった。」 です。テコアの組だけが、専門の技術者がいるのに、工事に協力をしなかったのです。リーダーはやる気でボランティアしたのに、技術者が協力しないとなると、どんな気持ちで工事にあたったのでしょう。 たとえ最高の技術ではできなくても、自分達にできること精一杯をするならば、神様はよろこんでくださるに違いない。 そんな風に考えたのでしょうか。テコアの組の担当した箇所がしっかりと城壁の一部として修復されたのです。

6節以降9節までは、エシャナの門は、誰が担当した、その仕事は、ギブオン人とミッパの人達が修理した、と担当者の部族や個人の名前がつづきます。 みんなが、自分の専門ではなくても、できる精一杯をして、城壁の修復工事がどんどんとすすんでいきました。 

10節以降は、だれが何を修復したかの記録です。いくつか注目することがあります。12節には、シャルム自分達の娘といっしょに修理した、とあります。女性も工事の作業にくわわったんですね。シャルムの心の広さでしょう。金相福学長がジャカルタの集会で、ご自分には3人の娘があたえられた、という証しをなさって、それぞれが女であるということを気にせずに自由に自分のしたいことをしなさい、という方針でそだてた、ということをはなされていました。女性を蔑視する傾向のつよいアジアの出身の牧師やリーダーの集いでしたから、その証しにはみんなが心をさされておりました。事実、金先生と一緒にいったのがトーチからは女性の副学長とわたしですから、女性をたくさん用いる神学校として世界に類がない神学校だ、と自慢気にはなされていました。シャルムもそのような進歩的な視点で女性をかんがえていたのでしょうか。 

20節には、バルクが城壁の曲がり角から大祭司エルヤシブの家の門までの部分を熱心に修理した、とあります。わざわざ熱心にという形容動詞がついています。 まがった所の城壁は、直線のところよりもっと複雑な作りで、より注意深くまた、手のこんだ作業をしないといけなかったのでしょう。 できたら、そのめんどうな所は、だれも担当にはなりたくなかった箇所かもしれません。しかし、バルクはそこを請け負って、しかも、それを心をこめて、熱心に修理したのです。 こんな風に、心をこめて、人よりも余計に努力をして神の都をたてあげた人は、神様にも人々にもおぼえられたのです。

もう一つこの箇所にくりかえされている表現は、「自分の家に面するところを修理した」という表現です。自分の家の前ですから、仕事にあたるのもしやすいし、自分の家のつづきのような気持ちで、とくにしっかりと修理する気持ちでできたのかもしれません。 

今日の箇所から、日本語礼拝にきている私達みなが、今教会を建て上げるために、神様がもちいてくださろうとしている一人一人だとおもいました。自分の前の、できるところから、建て上げていきましょう、そして、誰かは神さまに召されて、より大変な働きを託されるかもしれませんが、神様の力と助け人をいただいて、出来るところまで、すすめてください。 つづきを受け継いで下さる人が、神様がおこしてくださいます。下半期の日本語礼拝も、いくつかの活動を考えていのっています。みなさんの参加と祈りと助けが必要です。ぜひ、御力をあわせて、神様の御国を建て上げる業を一緒にすすめてまいりましょう! 


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