2013年10月20日日曜日

「ビジョンを担った人々」

ネヘミヤ記 7:5-60

<挨拶> お祈りをありがとうございました。主の御業を沢山体験してもどりました。先週は、こちらでは、洪執事様を偲(しの)びつつ、 礼拝をささげて下さったとのこと、また、今日、 心のこもったお便りをご遺族に準備してくださり、ありがとうございました。ご家族のみなさんに励ましと慰めとなると確信します。すべてを主に委ねて、天の御国を見上げて歩みたいとおもいます。ともに、手をとりあって、はげましあって、まいりましょう。 


ネヘミア記にもどります。ペルシャで王の献酌官だったネヘミアは、故郷エルサレムの城壁が破壊された状態であることに心を痛めて、民を率いて帰還し、城壁の再建にあたりました。さまざまな妨害が、外にも、内にもあったのですが、神様のビジョンに焦点をあわせ、ゆるがない信仰で事にあたったネヘミアのリーダーシップのもと、なんと、52日というスピードで、高さ10 メートル, 長さ4km に及ぶ城壁は再建されました。

門が着けられて城壁が完成した時に、門衛と、歌うたい(聖歌隊)、レビ人(礼拝担当者)が任命されました。礼拝がなされたということです。 わたしたちの礼拝も、毎週、毎週、すばらしい賛美チーム、マンドリン聖歌隊、そして声の聖歌隊と、様々な礼拝担当者が細かい準備をしてくれて、 恵みの礼拝がもたれております。感謝です。そして、リーダーには、ハナヌヤが選ばれました。この人物がなぜ選ばれたかの理由が書いてあります。 (1)誠実な性格であった:辞書には「私利私欲がなく、裏表がなく、真心をもって接する人」(2)誰よりも神をおそれる人物、だったから、とあります。ネヘミアは、政治的な力のある人とか、経済力のある人ではなく、誠実さと、主を恐れて生きる信仰者こそ、神の民のリーダーとなるべきと考えました。このようなリーダーが教会をたてあげてくださることを期待します。 
 
さて、このようにして、城壁はできあがりましたが、中に住む人はまだ少なくて家もまばらだった、とあります。それでネヘミアは、次のプロジェクトとして、城壁の中に住む人について取りかかりました。帰還してきたユダヤ人の系図を見つけて そのリストを作りあげたのです。7節以降60節まで、ネブカデネザル王が捕囚の民としてバビロンに連行したユダヤ人の中で、捕囚を解かれてエルサレム・ユダに戻る事ができた民のリストが連記されています。

53節に及ぶ部族の名前のリストと 人数が列記されているのを見ながら、いくつかの事をかんがえました。

1.城壁だけできてもだめだ、ということです。枠組みは大事ですが、その中にすむ人物が、神を礼拝する民として、御言葉に生きる民として、この城壁の中に生きかったら、せっかく建てた城壁の意味がない、という事です。教会は、その中の礼拝者が本質です。建物ではありません。その中に生きる人が、神を恐れ、神と人を愛し、みことばに真剣に生きる者である事が重要です。その見本となるべきリーダーとして、人格者、ハナヌヤが選ばれました。住民も「神の民」の自覚をもって、誠実に生き、神をおそれて、みことばを忠実に守る人物であるべきだという事です。部族毎にリストがあることは、かつての幕屋をかついで荒野を旅していたときの事を思いおこします。エジプトを出てきた民は、12部族でしたが、3部族毎に幕屋の東西南北4方向に配置されました。また、幕屋を担当するレビ人の中でも、一つ一つの部族がそれぞれ役割を持ちました。“幕”を運ぶゲルション族、木材をはこぶメラリ族、聖なる器具をはこぶケハテ族、といった風に。ネヘミアの時代には幕屋ではなく、神殿と城壁にかこまれた土地が確保されたのですが、それにしても、それぞれの部族の役割が確認されて、秩序ある町づくりが大切だったのです。

2.このリストのあげている人数がとても細かい事に目がとまります。8節、パルオシュ族2172名、シェファテア族372名。アラフ族652名.パハテモアブ族2818名、等、最後の一桁まで数字があげられています。系図を詳しく調べた事が分かります。実は、同じようなリストがこの前のエズラ記2章にもあるのです。エズラが帰還する民の住民票を作ったのでしょう。こちらも 最後の一桁まで書かれていますから、丁寧に調査して記録したことがわかります。ところが、エズラとネヘミアの二つのリストは微妙な違いがあります。聖書が間違っているではなく、エズラの調べた時と、ネヘミアの調査が時期が違う事が考えられます。どうやら、エズラはバビロンの中でこれから帰還しようとする人をリストしているようで、ネヘミアは帰還してきた人を調べているわけです。ネヘミアはエズラのリストをもとに、アップデートしたのでしょう。ですから、人数が少し変化しているのは、ある人は婚姻関係で他の部族に属するようになったり、または、逆に先祖の所属がはっきりしたら、別の部族だった、などというケースもあったのでしょう。6章にでてきたトビアは、アモン人でありながらユダヤ人アラフの子シェカヌヤの婿(むこ)であり、彼の息子もユダヤ人の娘をめとっていたので、多くのユダヤ人が彼と誓いをたてていた、という記録がありました。もしくは、エズラとともに帰還しようとした時には生きていたのに、天に召された人物もいたのかもしれません。しかし、神様の民として、一人の数字も大切に数えられていたのです。おおざっぱに神の民、でなく、この役割をになった大切な一人として数えられたのです。このたび、私達日本語礼拝部も大切な一人を天におくりましたが、執事様の果たしてくれた役割は、日本語礼拝部の20年の歴史にかけがえの無いものであったと思います。神様の前にそれは覚えられていると思います。

3.このリストを整理するという新しいビジョンがネヘミアに与えられた事。5節を見ると、「私の神は、わたしの心をうごかして、私が主だった人々や代表者達や、民衆をあつめて、かれらの系図を記載するようにされた。」と語っています。神様がネヘミアの心を動かした、とネヘミアは告白しています。 このリスト造りはとても重要な事だったので、この提案をしたネヘミアをみんなは誉めたでしょう。「すばらしい事に気づいてくれた!それは是非やらなくてはならないことだ!さすがネヘミアだ!城壁も完成させて、リストも作るとは!」 そんなほめ言葉を聞きながら、ネヘミアは神様に栄光をお返しするように、「この考えは、神様が私の心をうごかしたから、浮かんだことです。」と、告白しているのです。神様に心をうごかされて、神様の御旨を達成する人生はすばらしいですね。自分の思い、願い、大望でなく、神様のビジョンが自分のビジョンとして生きることができたら、そんな人生は永遠の価値のあることをこの地上に残すことができます。 
そして、神様のすばらしいビジョンを達成したら 、そのために与えられるほめ言葉はすべて神様にお返しして、自分の栄光をもとめないこと、が大切です。ネヘミアは、「すべてよい事は、神様のビジョンのおかげです、と栄光を神様に帰しております。わたしたちも、神様のビジョンを敏感にうけとり、私たちの生活の中でそれを実現、実行し、そして、完成したおりには、全ての栄光を神様にお返しするそんな人生を過ごしたいと思います。 

こんなすばらしい神様が、御自身の民を、生かし、導き、 良きもので満たしてくださり、私たちの人生の中に沢山の恵みを与えて下さっています。今日は、この神様の憐れみが、人生のどんな時にもそそがれている事をおぼえタイと思います、パウロは厳しい迫害の状況の中で、「いつも喜んでいなさい。絶えずいのりなさい。すべての事に感謝しなさい。テサロニケのクリスチャン達に命じました。このようなすばらしい神様の恵みを、どんなときにも、人生の荒波が襲ったときも、かわらずに導いて下さる神様に、感謝をもって、祈りをもって、喜びをわすれずに、生きる一週間でありたいとおもいます。




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