2014年1月20日月曜日

「悔い改めと礼拝」

ネヘミヤ記 9:1-31

すばらしいクリスマスツリーとお花。デコチームの奉仕のおかげで、すっかりアドベントの雰囲気に様代わりしました。今日から12月、今年のアドベント(待降節)がはじまります。今年ここまでの神様の恵みを、沢山おぼえる12月としたいとおもいます。今晩6時にサラン教会で、ソウルの日本語礼拝部のメンバーが集まって、賛美集会を持ちます。去年はとても楽しい集会でした。今回は佐藤彰先生をお迎えして、東北のため、フィリピンの為にも祈る時をもちます。ソウルの日本語礼拝が集う年に数少ない機会です。みんなででかけましょう! 礼拝直後に簡単に練習をします。是非お残りください。 さて、私達の礼拝では、アドベントの期間、毎週クリスマス・スペシャルを持ちたいとおもいます。ここにアドベント・キャンドルが4本ありますが、スペシャルの方に毎週一本ずつ点火していただきたいとおもいます。特に今日は日本語礼拝部21周年記念礼拝でもありますから、スペシャルx2です。今日のスペシャルx2は、「戌年クワイヤ!」です。暖かい拍手でおむかえください。

暗唱実践聖句
愛は___であり、愛は___です。又、人を___ません。愛は___せず、____になりません。___に反する事をせず、自分の___を求めず、___らず、_________を思わず、
「不正を喜ばずに、真理を喜びます。」  Iコリント134-6

ネヘミア記より
            ユダの地に戻って神殿と城壁を再建した イスラエルは、礼拝を回復し、民を律法をもって回復し、祭りという伝統も再開します。その祭りが、スコテと言われる、仮庵の祭りでした。家の外や広場や神殿の庭に、木や布地で三方の壁をたて、屋根は木の枝やはっぱで覆うだけの小屋に一週間住むというお祭りです。今日でも祝われています。 ビデオー

この祭りは、秋のたけなわの9月から10月にかけて、一週間にわたって行われます。 実は、ユダヤの歴では、この時期(ティスレの月)にお正月があり、ユダヤの一年が始まります。そのすぐ後に贖罪の期間がもたれて、それはヨム・キプール(大贖罪の日)でまとめます。この日は、年に一度、大祭司だけが至聖所に入って贖いをする日です。アザゼルの山羊に人間の罪を託して、荒野に放つ儀式をおぼえていますか?(スケイプ・ゴート)。人間の罪があがなわれる事を期待する儀式です。そして、その5日後にもたれるお祭が、スコテ(仮庵)の祭りということで、ユダヤ人にとって大事なことを一年を始める時に、しっかりと覚えて進もうという事でしょうか。 

この仮庵の祭りの間に毎日なされたことは、律法を読み上げることでした。外国での生活を70年以上おくってきたイスラエルが、霊的に回復するためには、唯一の神様、出エジプトを導いた神YHWHのみことばに戻ることが大切でした。

しかし、律法をよむということは、有限な人間には、それを守れなかったことの発見となります。自分の失敗や、過ちをみとめることは、どんなに人間にむずかしいでしょう。アメリカ人は“I am Sorry”といったら終わりだ、と考えるそうです。日本人はいつでも「すみません」といいますが、それは,自分の罪や失敗をみとめたときではなくて、ありがとう、今日は、失礼しますの言い換えで、本当に自分の失敗を認めることでは無いことが多いでしょう。人間には非を認めることは、とても難しい事だと思います。 

本当に罪がわかるのは、神様のたすけが必要です。聖霊様が、みことばによって「罪について、義について、裁きについて」正しい事をわからせてくださるのです。みことばは、両刃の剣のように鋭くて、自分の罪深さや汚れを、ごまかしを赦さず暴露します。「あなたは、実は、このように汚れている。罪深い者 である、など、自分の弱さを指摘されたら、どんなに辛いことでしょう。 私達の今までに犯した罪のリストが、PPTに書き出されたら、どんなに辛いでしょう。しかし、みことばを聞いて,悲しんだ民に、ネヘミア は宣言します。「悲しんではならない、主を喜ぶことは私達の力だ!」と。悲しみにしずむイスラエルを、喜びへと導きだしました。  

悲しみが、喜びに代わるという神様の大逆転は、聖書の神様のおどろくべき恵みです。 私達、「神の民」は、この人生の大逆転をみな体験することができます! 嬉しいことに、大きな罪をおかした者ほど、神様の赦しがどれほど大きいかが分かります。そして、そのような人ほど、大きな愛で人を赦すようになれるのではないでしょうか。 ペテロもこの体験をした人物です。自分もイエスを、「知らない」と裏切った人物でしたが、イエスキリストの贖いの意味、赦しを受け取って、この数週間後には、大胆にユダヤ人達の罪を指摘しています。ジョンニュートンは、奴隷商人でしたが、罪をゆるされて教会に仕える者となりました。アメージンググレイスという素晴らしい賛美は彼の信仰告白です。

このようにして、喜び溢れる民となったイスラエルは、仮庵の祭りを祝いました。先祖の歩んだ道を覚えることもですが、その間の主の忠実さのゆえの豊かな恵みをしっかりと味わい、喜び、感謝に溢れるためでもありました。仮庵の祭りは、歓喜の祭りだそうです。「この祭りを見たことがない者は、歓喜がどういう意味かをわかっていない」という言葉もあるそうです。 こうして、仮庵の祭りは、大きなお祝いの時となりました。豊かな 収穫物をもって、神殿にささげ、まずしい者達、やもめ、孤児、そして在留異国人にも、収穫物を分け合って、民全部が喜ぶ祝祭の時でした。こうして、仮庵の祭りは一週間続いて、8日目に再びきよめの儀式をして、 閉じられます。

この仮庵の祭りの数日後に、もう一つの儀式、 礼拝がもたれたのでした。歓喜にあふれた仮庵の祭りとは打って変わって、イスラエル人は断食をし、粗布を身につけ、土をかぶって集まりました。そして、特別に、捕囚の地にあってペルシャ人など異邦人と雑婚した事のある家系をもつ子孫は,立ち上がって自分達の罪と、先祖の咎の告白をしたのです。そしてその者たちは、その日昼の4分の一、やく2時間でしょうか、ずっと立ったままで、主の律法の書を朗読し、次の2時間は告白の祈りをささげて、神様を礼拝したのでした。それから、レビ人達のここに名前があがっている数人が、台にたって大声で主にむかって叫ぶ祈りを捧げました。みんなの祈りのまとめのような祈りでしょう。そうして最後にもう一度、同じ人達が、祝祷の祈りをささげました。「とこしえから、とこしえまで居ます、主をほめたたえよ。すべての祝福と賛美を越えるあなたの栄光の御名はほむべきかな!」

このようにして、ユダヤの一年の最初の月がもたれます。それは、自分達の神様からうけた恵みをおぼえ、赦しを前提とした罪の悔い改め、そしてアブラハムを召した神様からうけた神の民としての使命を確認するときだったと思います。 

悔い改めは、本当の喜びあふれる信仰生活、人生の鍵です。
悔い改めは、みことばなしにはありません。 
悔い改めは、聖霊のたすけなしにはできません。
悔い改めは、礼拝者のとても重要ななすべきことのひとつです。


12月は、神様のまえに、感謝をささげる時期でもありますが、こころから今年行ったことの中で何が神様の導きとは異なる道だったか、私たちの心のどこかに、神様以外の物、偶像につかえて、神様をないがしろにしたところはないか、をみつけて、その自分の過ちを告白することが大事です。2時間の律法の朗読のあとに、2時間の告白がありました。 みことばをじっくり読むことを第一に、自分の心を吟味することが第二、そして、告白して方向転換することで、赦しと新しい恵をうけたいと願います。あたらしい年が、本当に神様のまえに、祝福を大胆にうけとることのできる、一年を迎えたいと願います。

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