2014年3月17日月曜日

「なすがままの罪」

黙示録 2:18-29

先週3月11日は、東北大震災から3年目でした。 東北や各地で追悼や記念会がひらかれ、失われた方々をいたみ、また、復興を祈りました。 今東北は二つめの危機にめんしているのです。 ある町では、被災して無くなった方は160人なのに、その後の苦しい生活にたえられず自殺をしてなくなった方の数は1600人、という報道がありました。この数字はひどい数字ですが、すくなからず、このようにして希望を失っている人達が沢山でているということです。 

ここ数ヶ月の間に、深海の魚がタコや魚など普通はみられない物が沢山捕れたり、富士山の道路に亀裂がはいるなど、自然現象に異常が続いております。日本はこの先どのくらい大丈夫なのかなあ、と案じてしまいます。そんな中で、一週間前に、四国でM5、広島で震度5の規模の地震がおきました。これは かなりおおきな地震です。様々な危機に面している日本のために、今みなさんのお祈りが本当に必要です。

3年前、ハレルヤ教会の中聖堂で、東北を覚えて祈る「絆inソウル」の第一回がもたれたのを思い出します。みなさんが夜遅くまでステージの準備などをしてくださったこと、懐かしく思い出します。あのときは800人という、韓国での日本関係の集会としては記録やぶりの動員が得られて、みなで熱い祈りの時がもたれました。その流れは今年まで続いており、今回はお隣りの(福井駅前)ソンナモクチャ教会で、再来週(2週間後)に開かれます。金曜日にミーティングをしたら、オンヌリが70名、サランが60名、地球村40名など皆さんが集ってくれることになっています。 ハレルヤからも近い所ですので、みなさんで出かけて祈りましょう。 日本から被災者の峰岸先生、音楽の奉仕は「申さんをんプロのチェロ奏者がきてくださり、ハレルヤのマンドリンチームも奉仕をします。皆さんでご参加くださり、祈りの輪をひろげてください。部長さんに御連絡くださったら感謝です。

暗唱聖句「     」

テアテラの教会へのメッセージから
テアテラという町は先週学んだペルガモと来週学ぶサルデスという町の真ん中いちして、セレウコス1世によって建設され、もともとは軍事的な基地の町、ソウルでいったらオサンとかに当たるでしょう。しかしだんだん交通が便利な場所だったので、あとからは商業も盛んになって、発掘された碑文によると、この町には沢山の同業組合があったようです。 同じ仕事をしている仲間で組合をつくって、他の町とのやりとりとか、業者自体が正義をもって商売するためには、組合はとても役に立つわけです。 だんだんこの町にはいろんな組合ができるようになって、毛織り物組合、亜麻布組合、染色組合、革細工組合、陶器の職人組合、パン屋の組合、また、びっくりするのは、奴隷商売の組合などもリストにはいっていたそうです。使徒行伝にでてくるルディアはテアテラの紫布の商人だったとありましたね。(ピリピの町の祈り場でパウロと出会っています。家はピリピにあって、商売はテアテラの特産物紫布をあつかっていたのでしょう。あかね草という草でそめた紫布は有名な物でした。
7つの町の中では一番小さい町ですが、与えられたメッセージは一番長いものです。 

キリストはこの教会の良い点を誉めることから始めています。 
19節、「あなたの行いとあなたの愛と信仰と奉仕と忍耐を知っている。あなたの近頃の行いが始めの行いにまさっていることもしっている。」
テアテラの教会はすばらしい教会ですね。なんでもきちんと行う教会。 それも愛と信仰が表れる奉仕、そして、苦しいことがおきても、忍耐をもって愛と信仰の奉仕をしつづける行いのある教会だったということです。 

ペルガモの教会はその信仰の強さを誉められました。殉教者がでたときも、信仰をすてなかった事がほめられていましたが、ここテアテラの教会は、信仰の強さだけでなく、愛があふれており、奉仕をしっかりとする教会、苦しいことがおきても忍耐する教会でしたから、すばらしい教会でしたね。 

愛が溢れていて、信仰の強さが溢れる教会、奉仕をしっかりと行う教会となったとしたら、ほぼ理想的な教会だとおもいませんか? みんながお互いを励まし合って、礼拝となると、だれもが自分に出来ることはないか、と奉仕をさがして、困っている人の話をきいたら、だれかどうかが出来る事をして助け合う、傷んでいる人がいたら祈り合う、そんなふうに愛にあふれた教会、ある人がローマの迫害の中でひどい目にあったとしても、信仰を捨てないで、忍耐をもって信仰を保ちつづけたのでしょう。「がんばりましょう!」「私達のゴールは天の御国です!」そんな言葉が交わされる教会だったのでしょうね。 しかも、そのように素晴らしい信仰生活は、成長をとげてきている、と誉められています。「あなたのちかごろの行いが始めの行いにまさっていることも知っている。」ともほめられています。 

これはすばらしい教会ですね。愛があふれ、信仰がつよくて、奉仕がしっかりでき、苦しいことにも忍耐をもってがんばる教会、しかも、それがますます強くなってきている成長している教会ですから、文句のつけどころがない様におもえます。

しかし燃える炎の様な目をもつ神の子は、この教会のかかえていた問題をするどく見抜いて指摘しました。20「あなたには非難すべきことがある。あなたはイゼベルという女をなすがままにさせている。この女は預言者と自称しているが、誤りを教えて不品行を行わせ、偶像の神にささげたものを食べさせている。」 この町に沢山あった同業組合は、集まったおりにはそれぞれの組合にあった業種の神々の神殿があったようです。それで、組合の集まりは大抵がこの偶像をおがんで、食べ物での宴会をもって集まりがお開きになるような、そんな風習があったことが考えられるようです。偶像に献げられた肉をたべること、そのついでに宴会騒ぎをすることは当たり前だったとすると、この町で商売をしていた人がクリスチャンになったら、主の日にはパン裂きの儀式(礼拝)に集まってクリスチャンとしての励まし合いができたとしても、月曜日に仕事場にもどったら、こんな仲間達に囲まれて、イゼベルの罪を犯すことを、見過ごしにして、「これはみんながやっていることだから。」といういい加減さを許してしまっていたのかも知れません。教会では神様のおしえておられることを実行するのに、仕事場にいっては、この世の流儀(やりかた)に流されてしまうという苦しさは、多くの現在のクリスチャンも体験することではないでしょうか? 

神様はイゼベルの罪には厳しい処置を下す!という宣言もして、今みすごされているからといって、それをしていていい、ということではない!と厳しい言葉が続いています。悔い改める機会を神様が与えているけれど、不品行をくいあらためようとしないので、大きな艱難の中に投げ込む!という警告までなされています。それは子供達(信奉者)を死病によって殺す、と。

こんな事がありうるのか? と思われますね。クリスチャンで、教会が大きくて、活発で、奉仕をしっかりしていて、こんな不品行がありうるのか! 

実は、不品行はうまく潜り込み、上手に隠します。インドのある地方に宣教にいったとき、その地区はクリスチャンが90%をこえている地区でした。教会は500人、600人の入るおおきな教会が町ごとにたっているんですが、なんと、町のあちこちに「AIDS追放!」「ドラッグ追放!」 「アルコール中毒を無くそう!」といったキャンペーンのポスターをみつけました。

その町の孤児院を訪問したとき、おどろいた事に孤児全員が、親から映されたHIVに感染してしまった子供達だったのです。いつ命がおちるかわからない、3才から15才までのこども達があつめられていたのです。親はすでにAIDSでなくなったのでしょう。 クリスチャン90%を越える町で、どうしてこのような事があり得るのでしょう!  それがイゼベルの罪のおそろしい力なのです。 

クリスライト牧師は、今の時代の神様の宣教を一番妨害するものは、過激的な他宗教ではない、また、迫害でもない。 それはクリスチャンの神様のみことばに従わない不従順であり、神様の御思いへの反逆である。 クリスチャンの中に紛れ込む偶像とは、

1.       力と地位とプライド (タイトルを追い求め、得たら振りかざすプライド)
2.       人気と偽り(認められること、そのために嘘を平気でつくこと、伴侶をだますこと) 
3.       富(繁栄、成功、この世の勝利で満足し、十字架の道をさけさせる。)

と指摘しています。 

イゼベルとは、北イスラエル王国が堕落した時の王、アハブの妻となったシドン人の王の娘でしたね。イスラエルにバアル信仰を持ち込んだ張本人です。バアルだけでなく、アシェラ像もたてて、姦淫と呪術が盛んにおこなわれるようになったことが列王記に記録されています。この後は、イスラエルはアッシリアに滅ぼされる目に遭いました。神様の臨在は、潜り込んだ偶像礼拝によって、うすれ、はじきとばされていったからです。 信仰に熱心で、愛の奉仕も、成長している教会でも、このイゼベルの罪をほっていたら、それは厳しい神様の裁きにむかっているのです。今それを回避するのには、「自分の中の偶像礼拝を悔い改めて、神のみことばに完全にしたがうことなのです! 



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