2014年3月8日土曜日

「初代教会から学ぶ」

使徒の働き 2:40-47

オリンピックが華やかに進んでいます。夜更かししがちな時期。仕事が山の様にたまっているのですが、この時期はテレビを見てしまいます。どの国が勝つか、というよりも、人間の持っている可能性のすばらしさに感動するからです。世界レベルというのが、どれほどすごいかも、驚きです。いろんな選手をみて、1020代でここまでできるようになるというのには、どれだけの練習、人生をどう時間の使ってきたのか、と自分を振り返って反省させられる点です。

今日はまた、 バレンタインデーです。若者にとっては、重大な日、いくつもらったか、だれからもらったか。男同士の競い合い? 商業ベースに乗りすぎていないか、とよく言われるようになりました。どうやら欧米ではチョコに限らず様々な贈り物が交わされるとのこと。日本では、ある御菓子の会社がチョコレートをつかってバレンタイン商戦をくりひろげたところ、大当たりをしたということです。 このSt. バレンタインという人物は、1700年以上も前の人物です。まだキリスト教がローマに迫害されていた時に、皇帝クラウディオが、兵隊の士気を髙めるために、兵士の結婚を禁じたのに、St.バレンタインは秘密にカップルを結婚させたそうです。これが皇帝の怒りをかい、彼はとてもひどい迫害をうけて命をおとした、といういわれの人物です。彼は、皇帝の命令よりも、聖書の「うめよ、ふえよ、地にみちよ。」という、神様の人間への最初の命令が大切に思ったのかもしれません。そういう意味では、この日、愛という神様からのすばらしいプレゼント、夫婦というすばらしい関係を、神様に感謝し、困っている人、苦しんでいる人、に神様の愛を分かち合うのにはとても良い日ではないでしょうか? 

暗唱聖句「しかし、あなたがたは選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、神の所有とされた民です。」 Iペテロ29

<みことばから>
いままでしばらくネヘミアを読みながら、神様の民である者の生き方、また、その共同体の生き方を学んできました。今日は新約聖書にうつって、初代教会から、神の民の共同体としての教会について数回にわたって学びたいとおもいます。 今日はまず、有名な使徒2章です。

イエスキリストの死という劇的な体験をした後、弟子達はもう一つ「復活」という更に劇的な体験をしました。
1)   これは、イエスキリストが神の子であるという証拠でもあり、また、
2)   人の罪があがなわれた、という証拠であり、
3)   人は死では終わらない、という希望の証拠でした。

イエスキリストが復活され、40日間はご自分が生きておられることを多くの人に示されて、オリーブ山から天に帰られました。弟子たちは、キリストを見送ってしまい、これからはキリストは近くにはおられない状況になるので、心は複雑だったとおもいます。わずか2ヶ月前にリーダーが処刑されたのですから、もしその仲間とわかったら、ユダヤ人達、ローマ兵達は、イエスの一味として捕まえて、同じ目にあわせるかもしれません。弟子達はキリストが天に戻ってしまった今、心細い思いはぬぐえなかったでしょう。 

しかし、10日目に、又も驚くべき事がおきました!
「いと高きところから力を着せられるまでは都にとどまっていなさい。」という約束があったように、みなが一つ所に集まっていたら(120人の兄弟達+姉妹方)突然天から激しい風のような響きがおこり、一人一人の上に炎のわかれたような舌が現れて、とどまりました。すると皆が聖霊に満たされて、御霊が話させて下さる言語で話し始めたのです。その場にいた人達が弟子(そのほとんどはガリラヤ出身、まだ、訛りのぬけない言葉は不器用な人達)が、イラン、トルコ、メソポタミア、アジア、エジプト、ローマ...これほどににも広大な範囲から集まった人々が、自分のことばを話す弟子をみて、あきれています。

イエスキリストの「いと高きところから力を着せられる」という約束が、確かに起こったのでした。このように聖霊に満ちた人が、初代教会を建て上げたのです。

さて、質問です。
聖霊に満ちた人があふれた教会とはどんな教会でしょう? もしハレルヤ教会日本語礼拝のみんなが聖霊にみたされたら、どんな教会になると思いますか? すこし想像してみてください。おとなりの人はどうなるでしょう? 来週の礼拝はどうなるでしょう? 


1.     異言を語っている。この場合の異言は外国語、霊の言葉の異言、天使の言葉の異言もあるらしいが、これはあきらかに外国人に神様の御業をかたる証しのためのものでしょう。全世界にでていって、すべての民に福音をのべつたえる使命をうけた、それを神様が力をあたえてくれる、という証拠です。

2.     ペテロの変化。ペテロはみんなの前に立って、「あなたがたは、この方を、不法な者の手によって十字架につけて殺しました。しかし、神さはこの方をよみがえらせました。」大胆な説教をしています。わずか2ヶ月前は、自分が主イエスを見捨てて、「あんな人は知らない。」と否定して、その罪悪感で大泣きに泣いたペテロが、大胆に「あなたがたが殺したのだ」と、宣言しています。ペテロは自分の罪が主を十字架につけたことをよく承知していたでしょう。しかし、同時に、イエスキリストの十字架の死は、すべての人間のためであったことも、理解したのです。この罪の糾弾は、同時に、救いの提供のゆえに、神の恵みのメッセージでした。この曲がった時代から救われなさい。そして、罪の悔い改めのヨハネのバプテスマではなく、イエスキリストの御名による救いのバプテスマをすすめました。そうすれば聖霊を受けるでしょう、という約束もともに。彼の変化は、十字架はどんな罪も赦すという確信からのもの。

その日、3000人がバプテスマをうけました。弱々しかったペテロ、逃げ腰のペテロが今や、大胆な語り手となっています。そのようにしてバプテスマをうけ、聖霊をうけた信者はどうなったかというと。

3.     使徒の教えを堅く守り、(教えを聞いていた、ではなく、守っていた)
4.     交わりをし (一人の信仰生活はありえません。ぶつかりあうことがあっても人は交わるべき)
5.     パンを裂き(聖餐)
6.     祈りをしていた。(日本の祈り会は、聖書研究に変わってしまって、最後の15分が祈り会というケースが多いのでは。来週の土曜日新学期をはじめるにあたって、春の祈り会をもちます。)
7.     使徒たちによって多くの不思議としるしがなされた。 (不思議も起こります。自然を自由にあやつる神様がともにおられるから。)
8.     信者はみな一緒にいて、いっさいの物を共有していた。(天に帰る日がくること、そこには何も持ってはいけないこと。)
9.     必要に応じて資産や持ち物を売って分配 (必要を見抜くこと。食べること、着ることにこまっている人はなんとか手をさしのべたい。
10.  毎日、こころを一つにして宮に集まり、(心をひとつに。集まっても心が一つではないなら、残念。
11.  家でパンを裂き、(家の主人となる人が聖餐式をとりおこなっていたのかもしれません。)
12.  喜びと真心をもって食事をともにし、(計算尽くでなく、真心のおもてなし)
13.  神を賛美し

とつづきます。これが、聖霊に満たされた人の集まる教会の姿です。

初代教会の様子を書いた古い文書がみつかっています。
王よ、クリスチャンを調べてみたら、こんな事実が判明しました。クリスチャンというのは、姦淫をおかさないし、不品行な行為をしないのです。嘘の証言をせず、約束したことは守ります。 自分の物で無いものはほしがりません。父親や母親を大切にし、身近な人に親切なのです。裁断を下すときには、正しく裁きます。偶像をおがまず、人の像もおがみません。自分にしてほしくないことは人にもせず、偶像にささげられた肉はたべません。自分を圧迫するものとは、親しくなって友となろうとし、敵に良いことをしようとするのです。王よ、クリスチャンの女性達ですが、とても純粋で純血をたもっています。娘達は慎ましやかで、男たちはあらゆる不法な関係には身をおかないようにし、不潔な行いにはかかわりません。 自分の家の召使い達には信仰者となるようにすすめ、そうなったら、兄弟姉妹と呼び合って、差別をつけないのです。彼らは、いつも謙遜で、ほがらかなのです。 (アリスタイドからハドリアン王へのクリスチャンの批判、2c前半)


ハレルヤ教会の日本語礼拝も、こんな、聖霊にみたされた、クリスチャンの性質をもった共同体となっていくことを心から願います。

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